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「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前6時発表――帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」(1941〈昭和16〉年12月8日午前7時、日本放送協会〈NHK〉のアナウンサー館野守男は開戦を知らせるニュースを二度繰り返した(なお、8日の臨時ニュースは12回、定時ニュースを加えると放送回数は18回、述べ4時間40分に達し、爆発的にラジオが普及した〈『昭和―2万日の記録E太平洋戦争』講談社〔1990.1〕〉)。 |

各家庭に掲げられた詔書
(41年12月9日『読売新聞』夕刊;41年12月9日付『朝日新聞』夕刊;同日付『東京日日(現・毎日)新聞』夕刊)
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宜ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ撹亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテー切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御 名
御 璽
昭和十六年十二月八日
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ひらがな文
天佑(てんゆう=天の助け)を保有(ほゆう=自分のものとして持っていること)し萬世一系(ばんせいいっけい=永遠に皇統が続くこと)の皇祚(こうそ=天皇の位)を踐(ふ)める(位につく)大日本帝國天皇は昭(あきらか)に忠誠勇武(ゆうぶ=勇ましくて強いこと)なる汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう=君主から人民を呼ぶ称)に示す
朕(ちん=天皇の自称)茲(ここ)に米國及英國に對して戰を宜(せん)す朕が陸海將兵は全力を奮(ふるっ)て交戰に從事し朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし=多くの官僚・やくにん)は勵精(れいせい=精をだすこと)職務を奉行(ほうこう=上の者の命令に従って事を行うこと)し朕が衆庶(しゅうしょ=庶民)は各々其の本分を盡(つく)し億兆(おくちょう=多くの人民)一心國家の總力を擧けて征戰(せいせん=戦いにおもむくこと)の目的を達成するに遺算(いさん=手落ち)なからむことを期せよ
抑々(そもそも)東亞(とうあ=アジア東部―中国・朝鮮・日本)の安定を確保し以て世界の平和に寄與(きよ)するは丕顯(ひけん=おおいにかがやかしい)なる皇祖考(こうそこう=明治天皇)丕承(ひしょう=立派に受け継ぐ)なる皇考(こうこう=天皇が死去した先代の天皇をいう言葉)の作述(さくじゅつ=先人の意見を述べることと新説をだすこと)せる遠猷(えんゆう=遠い将来まで考えた計画)にして朕が拳々(けんけん=両手でうやうやしく奉げもつこと)措(お)かざる所而(に)して列國(れっこく=多くの国々)との交誼(こうぎ=親しい交際)を篤(あつ)くし萬邦(ばんぽう=あらゆる国)共榮(きょうえい)の樂を偕(とも=一緒)にするは之亦(また)帝國が常に國交の要義(ようぎ=重要な意義)と爲す所なり今や不幸にして米英兩國と釁端(きんたん=争いのはじめ)を開くに至る洵(まこと)に已むを得さるものあり豈(あに=あいえない)朕が志ならむや中華民國政府曩(さきに=前に)に帝國の眞意を解せず濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を撹亂(かくらん)し遂に帝國をして干戈(かんか=戦い)を執(と)るに至らしめ茲に4年有餘を經たり幸に國民政府更新するあり帝國は之と善隣の誼(よしみ=したしみ)を結び相提攜(ていけい)するに至れるも重慶(じゅうけい=中国四川省の四川盆地にある都市)に殘存せる政權は米英の庇蔭(ひいん=助けまもること)を恃(たの)みて兄弟(けいらい)尚未だ牆(かき=かきね)に相鬩(せめ)ぐを悛(あらた)めず米英兩國は殘存政權を支援して東亞の禍亂(からん=世の災いになるような騒動)を助長し平和の美名に匿(かく)れて東洋制覇(せいは)の非望(ひぼう=身分にふさわしくない望み)を逞(たくまし)うせむとす剰(あまつさ)へ與國(よこく=同盟国)を誘ひ帝國の周邊(しゅうへん)に於て武備(ぶび=軍備)を増強して我に挑戰し更に帝國の平和的通商に有らゆる妨害を與(あた)へ遂に經濟斷交を敢(あえ)てし帝國の生存に重大なる脅威を加ふ朕は政府をして事態を平和の裡(うち)に囘復(かいふく)せしめむとし隠忍(いんにん=じっと我慢すること)久しきに彌(わた)りたるも彼は毫(ごう=ほんの少し)も交譲(こうじょう=互い譲り合う)の精神なく徒(いたずら)に時局の解決を遷延(せんえん=延び延びになる事)せしめて此の間却(かえ)つて益々經濟上軍事上の脅威を増大し以て我を屈從(くつじゅう=屈服)せしめむとす斯(かく)の如(ごと)くにして推移せむか東亞安定に關する帝國積年の努力は悉(ことごと)く水泡に帰し帝國の存立亦正に危殆(きたい=非常に危険なこと)に瀕(ひん)せり事既に此に至る帝國は今や自存自衛の爲蹶然(けつぜん=勢いよくたちあがるさま)起つてー切の障礙(しょうがい)を破碎(はさい=こなごなにする)するの外なきなり 皇祖皇宗(こうそ-こうそう=天照大神{あまてらすおおみかみ}に始まる天皇歴代の祖先)の神靈(しんれい=神のみたま)上に在り朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚(しんい=しんらい)し祖宗の遺業を恢弘(かいこう=広く大きくすること)し速(すみやか)に禍根(かこん=災いの起こるもと)を芟除(さんじょ=除き去ること)して東亞永遠の平和を確立し以て帝國の光榮を保全せむことを期す
御 名 御 璽(ぎょめいぎょじ)
昭和16年12月8日
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